楽々閉店に関して思うこと。

万感の思いを文字にまとめられるかな?w


初めてこの店に来たのは、大学受験が終わった2009年の3月だったと思います。
なぜか浪人してる時は新宿馬場池袋ばかりでらーめん食べてたので吉祥寺のらーめんに関してはほとんど知らなかった。
楽々も2008年10月にオープンだから、2009年春の時点ではまだ新店の部類だしね。
ふとRDBの存在を知って吉祥寺のランキングを見てみると、聞いたことないような店が上位に来ていた。
それが楽々。
どんならーめんなんだろうとレビューを見てみると、ほとんどの人が違うらーめんを食べている。
白、限定、黒、、限定、油そば、限定、焼きらーめん、限定、限定・・・
なんだこの数多くのメニューが揃う店は!!!
さらに当時は、昼は「麺処 楽々」、夜は「麺Dining Luck&Luck」(確かこんな表記だった)とかで店名を変えてしっかりと昼夜の住み分けを行っていた
こういう業態も当時の私には新鮮で。
それで一気に引き込まれるように訪問して白喰って、店内の雰囲気とかも気に入って。
そしてなんとなーく5月か6月に2回目の訪問をしたら、店内の張り紙を読んで磯部水産がオープンすることを知る。
今まで定休日だった月曜日を使って、毎週その時限りの限定を月のテーマに沿って作る!という革新的なセカンドブランドだった。
当時大学1年生だった自分にとっては「いろんならーめんを喰える」「月ごとのテーマに沿って提供する」というのは、店でもあるしまるで「ラーメンの塾」のように思えたのだった。
そしていつの間にか可能な限り磯部水産に通うようになって、月曜の履修を避けるようになっていた。
いろいろな製法、食材はほとんど磯部水産から学んだのだ。
これによって楽々に行くことの意味が何杯にも膨れ上がる。
さらにさらに。
必然とスタッフさん達に顔を覚えられ、食べる前に話しかけてくれたり食べ終わった後は感想を聞いてくれる。
何より嬉しかったのは、限定の日に店に行くと食券を買う前に「いらっしゃい。今日は限定だよね?」と、食べるメニューを当ててくれることだ。
20歳そこそこにして初めて得た、「常連」という肩書き。
それは当時の僕にはまるで称号のように思えた。
ただ食べるだけではなく、スタッフさん達からいろんな情報を聞きながら食べることで他の店で一杯食べるより遥かに知識も増えたし勉強にもなった。
何より、ここの店のらーめんは美味しいのだ。
そして、限定を数多く提供するので飽きないのだ。
それは、過去に123回訪問してのべ98種類のらーめんを食べてきたことからも分かる。
98種類!!!
おかしい。


スタッフさん達との出会いは何より大切にすべきだと感じる。
磯部さん、野村さん、柴田さん、伊東さん、家長さん、そして関わった数多くのスタッフさん。
野村さんは急に辞めてしまったけれど、9/30の15時すぎにお店を覗いたらちょうどいらっしゃって数年ぶりに御挨拶できたし。
相変わらずお元気な様子で何より。


今後もし年齢を重ねる上でより多くのラーメン好きの方達と談義に花を咲かすことがあれば、私は胸を張ってこう言いたい。
「私にとってのバイブルとなった店は、吉祥寺にあった楽々という店です。」
私のラーメン観を創り上げ、味覚を形成してくれた最も感謝すべきお店です。
私がこのお店に還元できることといえば、伊東さんと柴田さんのお店にこれからも脚しげく通ってお金を落とすことくらいでしょう。
今後とも場所は違えど宜しくお願い致します。
5年間、素敵な空間をありがとうございました。
お疲れ様でした。
楽々ありがとう!!!



(Y´∀`)< ホントいい店でしたよ。ありがとう。